自己紹介(新しくブログ開設したぜぇ)



ブログ開設したぜぇ

新しくブログを開設したぜぇ。
仕事のこと、遊びのこと、様々なことを投稿していきたいと思うが、
まず最初に自分の自己紹介をしたいと思う。

自己紹介

名前  :たかっち(男性)
生年月日:1971/09/01
出身  :東京都練馬区

生い立ち
小学校時代:
運動神経抜群、但し成績が悪くさらに忘れ物がひどく親が何度か呼び出されていた。
(今でいうADHD(注意欠陥・多動性障害)だったかも)
小学4年の時、唯一の殴り合いの喧嘩を20代の担任(女)と行う。
確か、クラスの誰かの筆箱がなくなって、何故か自分が疑われたから。その後、無事発見されたにも関わらず、何の謝罪もなかった為、自分の筆箱を思いっきり投げつけたことでタイマン状態に。

やっぱし親が呼び出されこっぴどく怒られていたが、親は真相は知っていたので特にお咎めなし。
学校の教師という人種(特に若い女性)に対する不信感はMAXに。但し、この件に対して、同じく4年の頃に通い始めた塾の先生から

「世の中の不公平さを修正するには、自分が修正できる立場の人間になるしかない。」
「だから勉強を頑張れ!」

との言葉から、突然勉強に目覚める。成績が急上昇するに伴い、学校の教師の態度が変化するも、その態度の変化に自分はますます教師が嫌いになる。
小学校の思い出って言えば、もう教師との反目しか記憶がない。
同級生とは概ね良好な関係だったと思う。

中学時代
部活(サッカー)に明け暮れていた。いかにも昭和な部活で、水は飲めない、炎天下で練習、大雨でも練習みたいなクレイジーな部活だった。でもそんな状況だったから過酷な条件下での処世術みたいなものも身についた。(隠れて水を飲む方法だとか)
でも不思議とこのサッカー部の顧問に対する恨みは全くない。どの部も似たり寄ったりだったし、部員に対する接し方は平等でフェアだったからだ。

高校時代
近所の公立高校へ進学。高校時代の思い出ってあんまりない。帰宅部だったし、1年の後半からバイトを始めてそっちの方が面白かったから。バイト先で知り合った同学年の子と初めて付き合い始めた。
レストランでのバイトだったが利益の額にびっくりした記憶がある。(バブルだったしね♪)

大学時代
2年の浪人を経て、今で言うFラン大学へ進学。当時は大学全入時代の今とは違い、偏差値下位の大学でも入るのは大変だった。一番の思い出は、選挙のバイト、わずか1か月弱ほどの短期バイトだったが40万円程稼いだ。給料以外の手当てがザル過ぎて笑えた。
「昼食代はい。・・・5,000円支給」、
「交通費代はい。・・・3,000円支給」
「土日出てくれてありがとう・・・給料とは別途10,000円支給」
しかも、投開票日当日の18:01頃には当確が出て大騒ぎ。確か今はなき”新進党”だったと思う。車の免許はこの稼ぎで取ることができた。

就職活動
はっきり言って、営業職にはなりたくなかった。炎天下でもネクタイに上着。冬も一日中外回り。そんな過酷な仕事はやりたくなかった。正直に就職課の担当に言ったら笑っていたが、
「じゃぁIT系に行って、プログラマになったら?」
という鶴の一声で自分の行き先が決まる。文系でほとんどPCは触ったことなかったが、それでも雇ってくれそうなソフトハウスはそこそこあって、結構あっさり決まった。前年にWindows95の発売がブームになっていたが、まだパソコンの一般的な普及には至っていなかったと思う。(卒論は一太郎とLotus1-2-3を使っていたと思うし・・・)

社会人時代
最初はCOBOLプログラマだった。理系でそこそこできる奴はVB(Visual Basic)だったと思う。文系出身でPC音痴な奴は決まって汎用機&COBOLの現場だった。最初に送り込まれた会社は、船橋市にあった”山一情報システム”。山一証券倒産の1年半前にこの現場に通い始めた。
汎用機は確かIBMだったと思う。COBOL自体は、ほぼほぼ英単語表記での命令文記述だったので、すぐに覚えられたが、プログラムを動かすためのJCLの方がどうみても呪文の塊にしか見えず覚えるのに苦労した。

↓↓↓ JCLイメージ。今見ても、意味不明~。

そして、あの1997年11月の山一證券の倒産(自主廃業って言い方だったかな)。確か3連休の初日、11/22(土)の早朝にニュース速報が流れた。そして夕方頃に自宅に電話があり、「一応連休明けの11/25(火)は通常とおり出社するように!」ていう連絡があったのを覚えている。
(携帯電話はまだ持っていなかった人の方が多かったと思う)

船橋市の山一情報システムにも何台かメディアの車は止まっていたが、何かインタビューを取っているという感じではなかった。本社のある茅場町や各営業店はひどい有様だったようだが山一情報システムは比較的静かだった。山一情報側も予想される混乱(売り注文の殺到や解約手続き)に対する協議はされていたようだが、末端の協力会社の若造には知る由もない。その後、結局山一情報システムも業務継続は困難になり、扱っていたデータはよその大手データ管理会社に移行されていった。(山一系列の証券会社は太平洋証券や武蔵証券など約10社程あったと思う。各社とも額面50円の株券が35円というアホみたいな値をつけていた)

まぁいろいろあったが、基本的には、社会人の最初の10年は汎用機でのCOBOLの開発の現場ばかりだった。なぜか証券会社が多かったが、銀行や生保、損保など、金融系の現場を渡り歩いた。その後、汎用機とは離れ、Open系のSE(JAVAやPHP)になったり、インフラ方面に行ったり、運用保守やPMOサポートなどをやってきた。
会社は通算で3社経験した。そして2013年末に会社員生活を終了しフリーランスエンジニアに転身した。

今後のこと

現在もITエンジニアをしている。新卒でこの業界に入り約20年の歳月が経ったが、学生時代にこの業界を選択し、本当に正解だと思っている。もちろん、今でも時折、イケイケなデスマーチプロジェクトに出会うことがあるが、特にフリーランスになってからは、卑屈な振る舞いをしなくていいので精神的には楽になった。そんなフリーランスエンジニアだが、正直いうとメリットばかりではなく、デメリットももちろんある。フリーランスのメリット、デメリットは大体以下の点ではないだろうか?

【メリット】
・仕事をある程度選べる。
・仕事の量を調節できる。
・ちょっとした長い休みが取れやすい。
・キャリアプランが立てやすい。

【デメリット】
・将来にわたって仕事を得られか不安。
・収入が不安定になりやすい。

いろいろあるね。でも自分の場合は、どうにかやっている。デメリットに挙げた点は自分自身不安に思う部分はあるが、それでも、もし誘われたとしても正社員に戻りたいとは思わない。正社員時代の、あの魂を売り飛ばしたような卑屈な振る舞いはもうやりたくない。
最後になるが、今の状況で、世間一般に言われるような定年退職の年齢(65歳?)くらいまで、やっていけるかわからないが、フリーランスの実態や、スキルアップ情報、趣味や時事問題など興味を持ってもらえそうな情報は、どんどん何でも取り上げて発信していこうと思う。

 

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