■.子供の頃の習い事の記憶
子供の頃、たくさんの習い事をやってきた。
水泳、習字、そろばん、公文式、(学習塾や進学塾)・・・
きっかけは、ほぼ全て、友達がやっているから。それ以外の理由で始めたものはなかったと思う。そんなしょうもない理由で始めたものだから、先行して始めていた友達が止めたりすると、ほどなく自分も止めてしまうというどうしようもないクソガキだった。
はっきり言うと、これらの習い事で何年も継続できたものは少なかった。そんな中唯一、習い事をやって”良かった”と言えるものがあって、それが習字だった。子供だからしょうがないのかもしれないが、あまりの汚文字っぷりに自分でも時間が経つと読めなくなるほどだった。結局、初段まで到達せずに止めてしまったが、それでも、習字をやっていたおかげで、汚文字はかなり改善され、むしろ達筆と言われるくらいにはなっていたと思う。
字がきれいになって得したことはあまりないが、少なくとも字の汚さで恥ずかしい思いをすることは全くなかったのでやってよかったと思っている。
■.ピアノを始めて思い出したこと・・・
ブログでも、何回か記事にしているが、ピアノを始めて約1年半程経過した。まだまだ初心者のレベルだが、それでも、始めた当初に比べれば、それなりに進歩していると思う。
(始めた頃は、どんな簡単な曲でも両手で弾くことは雲の上のレベルだと思っていたので・・・)
最初の習い事の話とリンクするのだが、何かを始めて、それが得意と言えるようになるまでには、かなりの努力を要する。そして残念なことに上達するのに近道は存在しない。もちろん個人の才能やコツを掴むまでの時間は個人差があるが、まぁ大抵の人は、何度も何度も失敗を繰り返しながら少しづつ上達していくしかない。
そんなことをピアノを始めて強く思い出した。
■.いくつになっても・・・
よく、”できない理由”や”やらない理由”に対して、”もう年だから・・・”というフレーズが使われる。これってすごいもったいないことだと思う。もちろん、上達スピードは子供に比べれば相当遅いかもしれない。でも上達じたいは年をとって何かを始めても感じることは充分できる。
どこか(厚労省だったか?)の統計で、2010年くらいに誕生した子供たちの半数以上は来世紀(22世紀)まで生存しているという予測を目にした。1970年代に生を受けた人達が、何歳くらいまで存命する予測なのかはわからないが、多分90~100歳くらいまで生きることは全然珍しいことではないと思う。
■.”どうやって・・・” と同じくらい大事な ”何をして・・・”
ニュースで年金問題が取り上げられる機会が多くなった。
未納の問題から、支給額の減額の話や、支給開始年齢の引き上げなどなど。若年層になればなるほど、年金については不利になるのだが、若年層から不平・不満の声はあまり聞かれない。まだまだ遠い未来の話だと思っているからだろうか?自分たち40代にとって、年金問題は、”今そこにある危機”(Clear and Present Danger)なのだが、老後については心配しなければいけないことはもう一つあって、それは、”何をして生きていくか?”という問題だ。
働いているときは、仕事に夢中になっていればいいので、あまり気にしないが、引退したあと、ただ、毎日一日中、家の中にいてテレビを見るだけという生活が楽しいのだろうか?。そして引退後を真剣に考えたことがある人ってどれくらいいるのだろうか?
しかも、前項でも書いたが、恐らく90歳過ぎまで生きるとしたら、そんな生活が20年以上続く。それを考えたら一生向き合える趣味や習い事の存在は非常に大きいと思う。そして何かを始めるのに40代が遅いということは全くない。というか”〇〇代だから・・・”というフレーズは使わない方がいい。
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