このピッチの上、円陣を組んで、今、散っていった日本代表は、私たちにとって「彼ら」ではありません。「私たち」そのものです。
1998フランスW杯 アジア第3代表決定戦 於:ジョホールバル
延長戦直前、円陣を組む日本代表に対して・・・
ロストフナドヌーの死闘
日本時間7/3(火) AM4:00 微かに白んできた夜明け頃、日本は優勝候補の一角、ベルギー相手に2点のリードを奪い、ベスト8の扉が少し開きかかっていた。日本の2点は何れも見事な程、美しいゴールだった。原口、乾のゴールは、それだけでこの試合を決定づけるに十分な程の強烈な一撃だった。しかし、数分後、悲劇は唐突に不公平さを伴い始まってしまう。
ベルギーの1点目はベルトンゲンの何を意図したのかわからないヘディングでの返しで、決して美しいとは言えない放物線を描いた軌道だった。2-1
残り約25分。1点を返し、息を吹き返したベルギーの勢いに対して、永遠にように長い時間だ。案の定、このリードは、わずか5分後にフェライニのゴールで霧散してしまう。2-2
残り約20分。この時点では、一気に逆転を許してしまうのではないかという感じもしたが、日本もしぶとく3点目は許さない。さらに時間は流れ、誰もが延長戦を意識しだす。
そのまま、アディショナルタイムへ。
そして、あの本田圭祐のFKとCK、そして、思い出したくない悲劇的な最期へ・・・
激闘の後で・・・
冒頭の言葉、元NHK山本浩アナの言葉だ。ベルギー戦、自分も一緒に闘っていた(ような気がした)。試合が終わって暫くの間、放心状態だった。一睡もできず思い足取りで、どうにか出社した現場には、魂の抜け殻のような人たちが大勢いた。仕事があるにも関わらず、以外にも、ロストフナドヌーで闘っていた同胞達がたくさんいた。もちろん、あの試合に文句を言う人はいなかった。そして試合直後の2、3日、色んな話をした。聞いた。
・ベスト8という高みに到達するまでに、あと何度このような悲劇を経験する必要があるのか?
・ドーハの悲劇の後に、ジョホールバルの歓喜があったように、ロストフナドヌーの悲劇の後に、歓喜の瞬間は訪れるのだろうか?。
・4年後のカタールW杯で、日本代表は何を残してくれるのだろうか?
・プラチナ世代と言われるアンダー世代の代表デビューは何時になるのか?
・監督人事は?
・協会人事は?
日本代表は、この試合に関して言えば明らかに”美しく”散った。4日前には、ポーランド戦での時間稼ぎで、世界中から大ブーイング受けながら”醜く”生き残ったが(個人的にはこの策は賛成なのだが・・・)、このことを今も根に持ちワーワーいう人はもういない。
そして、いつかこの悔しさを晴らしてくれるよう、未来の日本代表に期待したい。W杯の悔しさは、W杯でしか晴らせないのだから。
ついにフィナーレ
この後、7/23(月)00:00 フランスとクロアチアの決勝戦が始まる。フランスは、日本がW杯に初出場したときの優勝国、一方クロアチアは日本と同様1998年にW杯にデビューしたにも関わらず、実績でははるかに先行している。ユーゴ時代には到達できなかった高みに分裂国家の一つであるクロアチアは楽々と到達してしまった。人口は僅か410万人。(日本の約30分の1!)
長い一か月のフィナーレにふさわしい試合を期待したい。
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