辞めた会社の人間と再会!気まずいと思っていたが・・・



この業界って狭くない?

ITエンジニアでしかも務めていた会社が中小ソフトウェア会社で人材派遣を主な業務としていると、数年後、まったく違う客先でバッタリ再会することがある。自分はこの手の経験を約20年のエンジニア生活の中で数回経験している。パターンとしては・・・

①.見送った人間と再会するパターン(自分が会社に残った場合)、
②.見送られた人間に再会するパターン(自分が会社を離れた場合)、
③.部下や後輩と再会するパターン、
④.上司や先輩と再会するパターン・・・
そして、心底嫌いな奴を再度見かけたが、胸糞悪いのでシカトしたパターン・・・

いろいろあるが、実を言うと全て経験している。

そして、②のケースで、どこか別の現場で再開した場合、ちょっと嫌な感情が湧いてくる。
何故かというと・・・

(自分)会社を逃げた奴
(相手)会社に残り耐えた奴

という図式を勝手に意識してしまうからだ。
そして、その相手に多少なりとも迷惑をかけたという思いがある場合、この嫌な感情は加速度的に増幅する。

この手の話は別のところでもたまに聞くので、この手の経験をしている中小企業在籍のエンジニアは相当数いると思う。要は、この業界は狭いってことだ。

地獄のプロジェクトで・・・、体調異変、そして退職へ

自分にとっての最初の再会は、まさに②のパターンだった。経緯を少し書くと、

90年代後半、プロジェクトの遅れを徹夜や休日出勤でカバーするのは当たり前だった時代・・・(今でも普通にあるが・・・)
自分は、ある火の吹いたプロジェクトをギブアップする形で離れたことがある。(当然、徹夜や休日出勤は日常茶飯事、月の休みは2日程だったような気がする)
そのプロジェクトは、ある大手パッケージソフトをカスタマイズする形である地銀に納品するというプロジェクトでフロントがJAVA、バックエンドがCOBOLでできていた。自分はもちろんCOBOLしかできない若僧だったので、バックエンド側を担当していた。融資機能担当だったと思う。
このパッケージソフトはどんな銀行でも対応可能な柔軟性を売りにしていたみたいだが、結局のところ、それは細かい作り込みは為されていないことを意味していた。
そのことに気付いたのはそのプロジェクトに参画してわずか数日後のことだった。パッケージに添付されている詳細設計の機能詳細がことごとく空欄になっていたからだ。

自分にとって(というか参画者全員か?)の地獄の始まりだったのだが、この現場は自分の会社から、もう1名3年先輩の社員が参加していた。(吉田(ヨッシー)先輩(170cm/100kg))
担当している機能は違うので同じ部屋の違うシマに席があったのだが、簡単な技術的なアドバイスで話をしたり、昼食とかは一緒に取るというくらいの関係だった。

そして参画した初月から5ヶ月連続で勤務時間が300時間をオーバーするという過酷な状態だったのだが、どうにかギリギリ耐えていたある日、腹部の痛みを感じるようになった。
最初の内は、激務の中での唯一の楽しみの暴飲暴食だタタリ、胃腸が疲れているのかと思っていたのだが食事を控えめにしたり、飲酒を控えてもこの痛みが全然引かない。
むしろ時間の経過と共に状況は悪くなる始末だった。

ひょっとして”胃がん?”という疑問に居ても立っても居られなくなったある週末、内科に行って胃カメラ飲んでしっかり検査をしてもらった。
そして、でた診断が「胃潰瘍」だった。(ピロリ菌は無し)
※.先生に「胃がんなわけ無いだろ~。そんなにブクブク太ってて」と笑われたのを思い出した。

そして、残っている人間には悪いが、これで休めると思った自分は、診断書の依頼を行い、内科の先生に「2週間程休みたいので、そんな感じで書いて下さい♪」って頼んでみた。
現場での激務も少し話していたので、先生はあっさりその通り書いてくれた。

早速、週明けの月曜朝に、現場上長及び会社に連絡し2週間の静養に入ったのだが、結局、その前の週の金曜日がこのプロジェクトでの最終日となった。
医師の「戻っても激務がなくならないなら再発する可能性が高いでしょう」
の言葉を盾にこのプロジェクトに復帰することを拒んだ自分は、簡単な話し合いの引継ぎのみを行いこのプロジェクトを去った。その後、次のプロジェクトを経験し、この会社を離れることになったのだが、送別会の席上、あの地獄のプロジェクトの自分担当分をヨッシーが追加で引継ぎ、今でも地獄の日々を送っているという話を聞いた。何か言わなければいけないような気がしたが、チキンな自分は、このヨッシーに電話やメールの一本入れることすらできなかった。

このようにして、ヨッシーとも言葉を交わすことなく次の会社に移っていったのだった。

一番、再会したくない相手とまさかの・・・

2社目に移っても、汎用機でのCOBLメインのプロジェクトを中心に業務を行っていたのだが、2社目に移って約3年後の2002年ごろ、ある通信会社の料金システムの保守案件に参画したのだが、同じフロアの別の部屋にいたのさ~。あの170㎝/100kgの先輩社員が・・・
自分のことを認識するのは時間の問題なのは分かっていたが、どうしても自分から挨拶に行くことができなかった。

そして、隠れるようにして仕事をしていたのだが、自分が認識して約1週間ほど経った頃だろうか?昼食時に”たまご屋”の弁当を食している最中、メインの串カツに手を伸ばそうとした瞬間、背中をポンと叩かれた。はっと振り返ると・・・

ヨッ死ーが仁王立ちで自分のことを見下ろしていた。

目が点になった自分に対して、この先輩は、
「おい、バケモノ見るような目で見んじゃね~」といっていたが、別に怒っている風ではなかった。
「チッス、久しぶりっす!」なんてぇ、気楽に答えたのだが、心臓バクバク状態はしばらく続いた。
(激務続きなのだろうか?少ししぼんでいた)
「おい、つもる話もあるしよ~。近い内に飲みに行こうぜぇ~」との飲みの誘いを、もちろん断ることもできず数日後、あの地獄のプロジェクトに対するささやかな”打ち上げ”を2人きりで行った。(何人か前社の人間も呼ぶような話もでたが、自分から断った。)

結局、何とも思っていないという結論に

打ち上げの際に言われて今でも覚えているのは、別に自分がプロジェクトを抜けたことに対しては何とも思っていないということだった。逆に”胃潰瘍”のことを必要以上に心配され恐縮ものだった。
ただ、プロジェクトを抜ける際でも、会社を辞める際でも、「どっちでもいいけど、どっちかのタイミングで電話一本くらいはほしかったなぁ」と言われた。「何度も電話をしようと思ったんすけど、申し訳なくて、どうしても電話することができなかったッス」と言ったら、とりあえず納得はしてもらえた。

その後、この感動の再会を果たした現場でお互い2年程通い、何のわだかまりもないまま、このヨッシーとも何度か飲みに行ったが、あの地獄のプロジェクトでの自分に対しての恨み節みたいなものは結局一度も聞かなかった。

自分も同じだった・・・

そして、数年後、今度は逆のパターンを経験することになった。細かい経緯は面倒臭いので書かないが、面倒を見ていた同じ会社の若僧が体調不良で休みがちになり、しまいには自分の時と同じように体調が戻らずプロジェクトを退場し、そして退職という自分と同じような経緯をたどって辞めていった。
(この時は、何の感情も湧かず、「あれっ、辞めちゃった!」くらいの感覚だった。)

彼が、お客さんから直接依頼されていた作業が結構あり、引継ぎもできずに辞めたので、いなくなって暫く大変だったことは覚えている。

そして、それから1年程経った頃だろうか。違う現場に移ったのだが、その若僧がいたのさ。喫煙所に・・・。
西部劇の決闘のようにお互いが瞬間的に指をさし合うような感じだったのだが、久しぶりの再会に、”不思議とこの若僧に対する怨嗟の感情は湧かなかった”のが正直なところだ。但し、この時にピンと来たのは、自分の時のヨッシーの感情が、やっと理解できたような気がした。

どういうことかというと、結局仕事で結びついている人間関係というのは、密のように見えて実は非常に希薄で、その関係性がどのような形で消滅したとしても、「あっ、そう」くらいのものだっていうこと。もちろん、余計な作業が突如振りかかることもあるので、その瞬間は殺意の塊みたいになるが、それは一過性のもので長くは続かない。しかも、ストレスやプレッシャーの中で業務を続けていれば、”このくらいのこと、誰にでも普通にあるよね~”みたいな同情というか、同調のような感覚も多分にあるので、意外に何とも思っていないということだ。

結論、
別の現場で、迷惑をかけた人物とバツの悪い再会を果たしたとしても堂々としていればいい。

あっ、でも再会までの期間が異常に短いとこうもいかないかなぁ~。これだけ書いたのに難しい・・・

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